2021年のノーベル物理学賞に真鍋淑郎さんが選ばれましたね!
御年90歳、現在はアメリカ国籍を取得されているそうですが、地球温暖化にいち早く提唱を唱えた、気象会のめちゃめちゃスゴイ人なのです!!
気象関係の人たちの間では、真鍋淑郎さんを知らない人はいないと言っても過言ではないのですが、一般人にとっては今回初めて知ったという人がほとんどだと思います。
とにかくすごい人!と言われる真鍋淑郎さんの経歴から、どこがすごいのか、調べました!
ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎のすごい経歴を簡単まとめ
ノーベル物理学賞を受賞した2021年現在、真鍋淑郎さんはアメリカのプリンストン大学の上席研究員をしています。
経歴がすごすぎて、書ききれませんので、パッと見てわかるように要点ひとまとめにしてみました!
【真鍋淑郎の経歴】
- 愛媛県、旧宇摩郡新立村(現在の四国中央市新宮町)、旧制三島中学卒業(現在の三島高校)
- 1953年東京大学理学部卒業
- 1958年東京大学大学院理学系研究科で博士号取得
- 1958年アメリカ国立気象局(現アメリカ海洋大気庁)へ入り、後に主任研究員となる
- 1968年からアメリカ、プリンストン大学客員教授を兼任
- 1975年にアメリカ国籍を取得
- 1988年北半球で地球温暖化が先行すると発表
- 1997年日本に帰国し、科学技術庁地球研究システム地球温暖化予測研究領域長に就任
- 2001年に辞任し再びアメリカへ渡り、プリンストン大学研究員となる
- 2021年ノーベル物理学賞を受賞
幼いころから本をんだり、璃勉強することが好きだったと真鍋淑郎さんは語っています。
経歴を見る限り、とても優秀な方だということがすぐにわかりますね!
大学院卒業後からずっとアメリカに渡っていますが一度日本に帰国しています。
日本の科学技術庁で研究を続けていましたが、辞任のきっかけとなったのが、「日本における縦割り行政が学術研究を阻害している」ことへの不満があったからだと言われています。
長年アメリカで研究をしていたので、ここが尊重されるアメリカと個々の力だけではどうにもならない縦割り社会の日本を比べて、日本で研究を続けても「頭脳流出」になるだけと懸念されたそうです。
たしかに、その通りだと納得してしまいますね。
日本でずっと研究を続けていても、ノーベル化学賞の受賞に至らなかったかもしれませんね。
ノーベル物理学賞受賞の真鍋淑郎!笑いも取ったユーモア溢れす記者会見スピーチ内容とは?
ノーベル賞科学省の受賞を受け、真鍋淑郎さんは現在いるアメリカで受賞記者会見を行いました。
もちろん英語でのスピーチですが、その内容がユーモアあふれるもので、聞いていた記者たちから笑いも起きていました!
「研究を始めたころは、こんな大きな結果を生むとは想像していなかった。私の研究は好奇心が原動力になった。後に大きな影響を与える大発見は、研究を始めた時にはその貢献の重要さに誰も気付かないものだと思う。」
「私は研究をただ心から楽しんでいた。」
「我々は気候変動を軽減する必要がある。だが、まず今まさに起こっている気候変動を認識し、対処する方法を見出さなければならない。」
「自分がどういう行動をとるべきかも考えているところだ。」
「気候変動を予測することは難しい。だが、気候変動から生じる政治や社会の出来事を理解することはもっと難しい」
「この受賞は私にとってはノーベル平和賞だと信じている」
会場から笑いが起きたスピーチ内容はこちら!
「日本は互いを邪魔しないように協調する」
「私は協調が得意ではなかった。(米国では)他の人が感じていることをあまり気にせずに行動できる」
「(米国では)コンピューターを使いたいだけ使え、好きな研究ができた」
聞いている相手がアメリカ人ということもあり、日本人とアメリカ人の特性についてこう語り、会場は笑いに包まれました。
また、妻信子さんのことについて記者から質問された際も大きな笑いが起きました!
私は考え事を始めると道路標識が目に入らなくなり危険なため、彼女に運転を頼んだ。
そのおかげで100%の注意を研究に注ぎ込むことができた!
She is a good driver!!
自分の運転は危険と自虐交じりに話し、妻信子さんのことを良き運転手と褒めたたえていました。
気候変動についての考えをまじめに話す姿と、普段のエピソードをユーモアを交えて話す姿に、とても交換が持てた会見になりました。
真鍋淑郎さんは、90歳とは思えないほど、頭の回転が早く、相手に自分の話を聞かせる話術も持ち合わせた、とてもすごい人だということがよくわかりました。