パリオリンピック競歩日本代表の浜西諒選手が、実は埼玉にあるスーパーの店員として働いていることが話題になっています。
オリンピック選手として活躍する一方で、浜西諒選手が働いているスーパーはどこなのか気になっている人も多いようです。
そこでこの記事では、浜西諒選手はどこのどこのスーパーの店員なのか、スーパーの店員からオリンピック出場までの経緯についても、詳しくまとめています。
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【パリオリンピック競歩】浜西諒は埼玉のどこのスーパーの店員?
男子競歩20キロ日本代表の浜西諒選手は埼玉のどこのスーパーの店員なのかというと・・・
埼玉県草加市にあるスーパーマーケット「ベルクス」の店員、青果売り場担当
草加市内のどこの店舗かは公表されていませんが、草加市内に「ベルスク」は3店舗あります。
- ベルクス草加松原店• 所在地: 埼玉県草加市草加3丁目9-13
- ベルクス草加谷塚店• 所在地: 埼玉県草加市谷塚上町271-1
- ベルクス草加青柳店• 所在地: 埼玉県草加市青柳5丁目22-22
浜西諒選手は、埼玉県草加市にあるスーパーマーケット「ベルクス」の青果売り場で働いています。
このスーパーでの日常的な業務は、箱から出したキャベツやスイカなどの野菜や果物をカットして袋詰めにし、店頭に並べることなんだそうです。
浜西選手の地道な努力とスーパーでの仕事が彼の競技生活に与える影響は大きく、スーパーの幹部も「限られた時間でも集中し、仕事の覚えが早い」と彼を評価しているそうです。
【浜西諒】スーパー店員からオリンピック出場までの経緯は?
浜西諒選手がオリンピック代表としての切符を手にするまでの道のりは、驚きと努力に満ちています。
大阪府豊中市出身の彼は、中長距離の選手として履正社高校の陸上部に入部しましたが、周囲のレベルについていけず、競歩に転向しました。
この転向のきっかけは、履正社高校の浜崎弘監督からの勧めでした。彼は競歩のルールを知らず、競技を見たこともありませんでしたが、「いつか走る方に戻る」との一心で練習に打ち込みました。
彼の努力は徐々に実を結び、2年時にはタイで開かれたアジアユース陸上選手権で日本代表に選ばれ、4位に入賞!
この経験は彼の競技生活に大きな影響を与え、「再び日の丸を背負える選手になりたい」との覚悟を決めるきっかけとなりました。
明治大学に進学後、浜西選手は男子20キロ競歩で古賀友太選手らと競い合い、充実した4年間を過ごしました。
しかし、運動時に吐いてしまう体調不良に悩まされ、大学時代は思うような記録を残せませんでした。
卒業を前に実業団からのオファーもなく、彼は引退を覚悟し就職活動を始めました。
そんな中で彼の運命を変えたのが、サンベルクスの社員からの提案でした。
「働きながら競歩を続けてみないか」というこの提案を受け入れ、浜西選手は昨春から新生活をスタートさせました。
彼の毎日は非常に多忙で、朝5時半に起きて自宅周辺を10~20キロ歩き、午前8時に出勤し、午後1時に退社して再び練習に励むというスケジュールです。
2月の日本選手権(神戸市)で、浜西選手は東京五輪の銀メダリスト池田向希選手に次ぐ1時間17分42秒で2位に入りました。
自己ベストを4分以上も更新する快挙で、パリ五輪の派遣設定記録を突破し、内定を確実にしました。
浜西選手自身もこの結果に驚き、「うれしい誤算。想像もしていなかった流れです」と語りっています。
【浜西諒】スーパーの店員と判明し周りの反応は?
浜西諒選手がパリオリンピックの代表に選ばれたことが公表されると、彼の勤務先であるサンベルクスの同僚や買い物客の間で驚きと喜びの声が広がりました。
普段は埼玉県草加市のスーパーマーケット「サンベルクス」の青果売り場で働く彼が、競歩の日本代表選手であるとは多くの人が知らなかったと思いますので、その事実が明らかになると周りの人さぞかし驚いたことでしょう。。
地元の人々からの応援も日増しに強くなり、買い物客から「パリでの活躍、楽しみにしています」と声をかけられることが増えたと語っています。
浜西選手は、このような応援に対して「本当に嬉しいです。地元の方々の期待に応えたい」と語っていました。
まとめ
浜西諒選手は、埼玉県草加市のスーパーマーケット「ベルクス」の青果売り場で働きながら競歩の練習を続け、パリオリンピックの代表に選ばれました。
高校時代に競歩に転向し、大学での挫折を乗り越え、サンベルクスの社員からの提案で働きながら競技を続けることを決意した彼は、日本選手権で驚異的な成績を収めました。
彼の成功は、地道な努力と周囲の支えがあってこそのものであり、多くの人々に勇気と希望を与えていますね!