「ローマの休日」、「ティファニーで朝食を」や「マイフェアレディー」など、数々の映画に出演し、絶世の美女として今なお語り継がれているオードリーヘップバーン。
彼女は1993年63歳にして亡くなっていますが、死因は一体何だったのでしょうか?
オードリーヘップバーンの死因は何?
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オードリーヘップバーンは、1929年5月4日に誕生し、1993年1月20日にスイスイにあった自宅で亡くなりました。
享年63歳でした。
彼女の死因は「腹膜偽粘液腫」というガンの一種でした。
この癌は、100万人に1.5もmの割合で発症すると言われている、非常に珍しい癌でした。
「腹膜偽粘液腫」とは・・・
腹部の臓器に粘膜を出す腫瘍細胞が発生し、巨大化の後に破裂。
腹腔内に、粘膜及び腫瘍細胞がばら撒かれてしまう病気(癌の一種)。
彼女は、ヘビースモーカーだったことから「タバコが原因ではないか?」と噂されました。
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オードリーヘップバーンは、1992年9月に自身の体調の異変に気づき、検査後に緊急手術が行われました。
しかし、精密検査を受けたときには、すでに腫瘍が全身に転移していました。
「腹膜偽粘液腫」は転移を起こしやすい癌とも言われていたのです。
そして、放っておくと臓器を圧迫し、腸閉塞を併発する危険性があり、栄養失調によって命を落としてしまいまうやっかいな癌なのです。
オードリーヘップバーンは、すでに全身に癌が転移した後に手術を受け、一時は容態は安定していました。
しかし、2度目の化学療法を目前に控えた頃、オードリーヘップバーンは腸閉塞を発症してしまいます。
腸閉塞は、激しい痛みを伴うため、化学療法では耐えきれず、再度外科手術を受けることになったのです。
しかし開腹手術をするも、ガンはさらに全身へ広がっていため、執刀医はすぐに手術を切り上げ、余命がわずかであることを告げたのです。
そして、最後は自宅に戻り、家族ともに最期を迎えたのでした。
オードリーヘップバーンの晩年は何してた?
若いころはとっても美しかったオードリーヘップバーンも加齢に伴い、顔も年相応に老けてきました。
そして晩年は、ユニセフ親善大使として、活動を続けていました。
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オードリーヘップバーンは1989年3月9日、ユニセフ親善大使就任しました。
就任した当時、最悪の食糧危機に陥っていたエチオピアやソマリアをはじめ、アフリカ、南米、アジアと世界十数カ国をめぐり、子どもたちの声なき声を代弁し続けました。
子供たちの悲惨な状況を世の中に訴えるために、自らの名声を惜しみなく使い、自らがユニセフの広告塔となって、力を尽くしてきました。
オードリーヘップバーンがPRするたびに100万ドル以上の寄付がよせられたそうです。
そして、彼女が活動した4年間で団体の規模は倍になったといわれています。
その活動を称えて、1992年の終わりに、アメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与されました。
しかし、このころにはすでに末期がんに侵されていたオードリーヘップバーン。
大統領自由勲章受勲から1ヶ月後の1993年1月20日、スイスの自宅で亡くなったのです。